【インタビュー】岩崎恭子さん|1992年バルセロナ五輪金メダリスト
1992年、バルセロナ五輪の競泳女子200m平泳ぎ決勝で当時の五輪新記録を出し、14歳という競泳史上最年少で金メダルを獲得した岩崎恭子さん。
「今まで生きてきた中で、一番幸せです」と目に涙を浮かべながら語った様子を覚えている方は多いだろう。
しかし、そんな栄光に輝いた後は、過度な報道や世間からの中傷などに悩み、成績不振に陥ったつらい時期があったとか。
娘の成長に日々の幸せを感じます。
「一番幸せ」が人生にたくさんあってもいいかな
――金メダルを取ってから、精神的に追い込まれたとか……
私は当時14歳。日本中から注目される対象になり、それまでとは同じ生活が出来なくなったことで、強いストレスを感じていました。
水泳だけに集中出来て、自分の目標を達成する積み重ねが楽しかったのに、それが全く楽しく思えなくなったのです。
自宅の前に知らない方が立っていたり、いわれのない中傷を受けたり……。
周囲の支えがあって、2年くらいかけて水泳に対する情熱を取り戻していきました。
1994年7月、高校1年生の夏休みにカリフォルニアで開催された国際水泳大会に遠征しました。
日本から離れ、周囲の視線から解放されたのがよかったのでしょう。
そこでやっと思い出せました。水泳が好きで、速く泳ぐことに夢中になっていた前向きな自分を。
環境の変化って本当に心身に大きな影響を与えます。今ならわかるのですが、気持ちひとつで解決出来ることだったのかもしれません。
――つらい時期、支えになったのは?
コーチや友達、家族はいつでも私の味方でいてくれました。
周囲の方の応援は私の心の支えになったと同時に、私自身がそんな思いやりを受けるにふさわしい、誠実でしっかりとした人間になっていかないといけないんだと、気が付かせてくれました。
誰しも生き方を考えなくてはいけない時期が訪れるといいますが、私の場合は10代のこの時期だったのでしょう。
神様は、乗り越えられない試練は与えないといいます。
当時はあまりぴんと来なかったこの言葉が、今になって腑に落ちた気がします。
自分にそういいきかせることが本質なのかもしれません。
――20歳で引退を決めた理由は?
正直、選手としての可能性はまだあったかもしれません。
でも、一生懸命取り組んでいる仲間の中に、モチベーションを保てていない私がいるというのは、指導してくれるコーチや仲間にとても失礼だと思いました。
泳ぐこと以外の全てを犠牲にして、五輪に向かう覚悟が持てなくなっていたのです。
今振り返ると、子供の頃からよく頑張ったと思います。
自分に甘いみたいであまり大きな声ではいえませんが(笑)。
でも、自分だけは自分を認めてあげるということが大切ではないでしょうか。
――これまでの人生で金メダルを取った幸せを超えた瞬間はありましたか?
実は次のアトランタ五輪にも出られたことは、金メダルを取ったのと同じくらい私にとって価値がありました。
娘が生まれた喜びも、ほかと比べることが出来ません。
元気に育ってくれること、娘の成長に日々の幸せを感じます。
「一番幸せ」が人生にたくさんあってもいいかなって。
幸せを多く感じるには、感じ方や気の持ちようの訓練次第。
母親になって強くなったかもしれません(笑)。
娘に頭に来ることをいわれた時でも、これは修行だと、自分にいいきかせています。
――病院にいる皆様にメッセージを。
先が見えない毎日に、不安が募って疲れてしまうようなそんな時こそ、頑張っている自分を認めてあげて欲しいです。
それから早寝早起き(笑)。
十分に眠るだけで、翌日のスタートを切る時の気持ちは、明るく前向きになります。
眠る前にスマホを別の部屋に置いて見ないようにするなど、そんな小さな工夫を是非試してみて欲しいです。
2020年6月号掲載