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歌手 三ツ屋亜美「不安や悲しみに寄り添って一緒に慰めてくれる――そんな癒しの力を持つのが歌」

その他

不安や悲しみに寄り添って一緒に慰めてくれる――
そんな癒しの力を持つのが歌

歌手 三ツ屋亜美

徳間ジャパンコミュニケーションズ公式サイト
三ツ屋亜美公式サイトhttps://ami-mitsuya.com

「昭和歌謡」のジャンルで活躍してきた歌手の愛海。三ツ屋亜美と名前を新たに、この夏メジャーレーベルからのデビューを果たす。インディーズでのシングル『愛 火のように京都』のリリースからメジャーデビューに辿り着く長い道のりの中には、恩師と交わしたかたい約束があった。

芸能の道に進まれたきっかけは?

 中学生時代、ショッピングしている時にスカウトの声をかけていただくことがあり、雑誌のモデルやランウェイを歩くというショーモデルの仕事を経験しました。
 中学から陸上部に所属し、陸上のクラブチームでも指導を受けていました。それが高校に入り、思春期を経る中で陸上競技を生活の全てに優先させなくてはいけないことがつらくなってしまったんです。友達は皆で遊びに行くのに、私は勝負の世界にいて、練習の毎日。好きな服を着たりヘアスタイルを楽しんだりといったお洒落をする余裕すらないし、出来るだけ足に負担をかけないようにと、靴は必ず運動靴というルールまでありました。何から何まで縛られる中で、自分らしく生きたいという思いが募りました。
 それが弾けてしまったのが高校3年生の時。実業団や大学からの勧誘をいただいていたんですが、結果を追い続ける毎日に疲れきっていました。それでインターハイ出場が決まった時、陸上は高校までで引退することにしたんです。結果的には高校生活最後の国体直前に怪我をしてしまい、有終の美は飾れませんでしたが、正直なところ、怪我が周囲に引退を切り出すいいきっかけになったと思います。
 競技人生の中では本気で取り組んできた証として、自分自身が納得のいく結果を残すことが出来たので、挫折感というよりは、ここまで頑張ってきた自分に対してお疲れ様という気持ちの方が大きかったです。
 実は、3歳の頃からバレエやピアノを習っていて、コンテストや発表会のステージに立つ機会がありました。中学生からは陸上漬けの日々でしたが、子供の頃にスポットライトを浴びた感覚を忘れていなかったのでしょう。自分が次に何をやりたいか、その関心は自然と芸能の世界へ向かいました。

芸能の中でも歌の道を選んだ理由は?

 一生歌の道で頑張っていこうと決めたのは、『愛 火のように京都』を書き下ろしてくださった音綾先生との出会いがきっかけです。
 音綾先生と私が出会った時、先生は心臓のご病気をお持ちで、長距離移動や外出など、心臓に負担がかかることをなるべく控えながら生活をされていました。そんなご自身が大変な中であったにもかかわらず、『愛 火のように京都』を書いてくださいました。
 この曲をインディーズで発売した後、先生は私にこうおっしゃいました。
「この先、メジャーでデビュー出来るよう、あなた自身の手で歌手としてしっかりと道を切り開いていきなさい」と。
 先生にかけていただいたその言葉を胸に、必死で頑張ってきましたが、なかなか結果を出すことが出来ず、自分の不甲斐なさに落ち込んでしまうことも多々ありました。
 あれから7年。ようやく念願かなって徳間ジャパンからメジャーデビューすることになりましたが、音綾先生は3年前にお亡くなりになり、生きていらっしゃる間に今回のメジャーデビューのご報告をすることは叶いませんでした。
 でもきっと喜んでくださっていると思いますし、これからも遠い空の上から見守っていてくださると信じています。
 メジャーデビュー曲『黄昏のカフェ』は、歌手としての活躍を誰よりも待ち望んでくださっていた音綾先生、そして長く応援してくださっているファンの皆さん、たくさんの方への思いを込めて歌わせていただいています。
 この曲を歌う度に「頑張ってきてよかった」「諦めなくてよかった」──そう、心から思います。

書き下ろされた曲を聞いて何を思いましたか?

 最初はカップリングとなった『熱海で逢えたら』が上がってきました。ラテンのリズムが心地よい、ムード歌謡的な雰囲気の、ややレトロな楽曲で覚え易い曲だなと思いました。歌詞の舞台となっている熱海は馴染みの場所で、ファンの方もたくさんいらっしゃいますので、曲のイメージをとらえ易かったです。
 その後、いただいたのが『黄昏のカフェ』だったのですが、こちらは『熱海で逢えたら』とは打って変わって切ない大人のラブバラード。メロディラインも、歌詞の世界観も私が歌いたいと待ち望んでいたタイプの楽曲で、聞いた瞬間ときめきました。
 2曲ともタイプは違うのですが、昭和な雰囲気が詰まった作品になっていると思います。
 昭和が平成になり令和になっても、あの頃のよさってありますよね。バブルが崩壊して、格差が問題視されるようになった平成。大きな災害も続き、今年に入ってからは、新型コロナウイルスの感染拡大による自粛。後ろ向きに、そして暗い気持ちになりがちだけど、右肩上がりで活気のあった時代を皆さん覚えていますよね。昭和の時代を知っている方にも知らない方にとっても、若く豊かな──そんな昭和の時代に心が帰っていくような曲だと思います。
 昔のよかった時代を思い出すということは、決して悪いことではないし後ろ向きなことじゃないと思うんです。大変な毎日は続くけれど、それこそカフェでコーヒーを飲んで、心を寛がせる時間と同じ。聞いてくださる方の心に寄り添う曲であって欲しい。青春時代の甘酸っぱく苦い気持ちを思い出せる、本当に素敵な曲をいただきました。そう、いいコーヒーって苦味も甘味も酸味もあるんですよ(笑)。
 3年前に別れた恋人との偶然の再会。寂しく切ない恋をテーマにした曲ではあるけれど、最後には自分自身の道を頑張って進んでいくという覚悟が詩に綴られていて、私もそう感じています。
 今回のメジャーデビューを契機に、今までの愛海という芸名ではなく、本名の亜美に変えました。原点回帰といいますか、本名を名乗るということは、ありのままの私でいくということ。自分の全てを出し切って偽りのない姿で、この曲に賭けていくという決意の表れです。
 本名の亜美は、両親が好きな曲『オリビアを聴きながら』の作詞・作曲をされた尾崎亜美さんから頂戴したそうです。本名も歌に因んだ名前なんですよ。私は、生まれた時から歌を歌っていく巡り合わせだったのかもしれませんね。名字は曲の制作スタッフや先生方と相談して、歌手「三ツ屋亜美」が誕生しました。

歌の力ってあると思いますか?

 私も、読者の皆さんと同じように入院したことが何回かあります。入院ってそれまでの自分を振り返ることが出来るタイミングなんですよね。そんな時に歌がそばにあると、これまでの自分の頑張りを認めてあげたり、傷ついた心を癒してくれたり、落ち込んだ自分を奮い立たせてくれたり……。
 先の見えない病気や怪我との闘いの日々に、不安を感じている患者さんは少なくないんじゃないでしょうか。そんな不安や悲しみに寄り添って、一緒に慰めてくれるのが、歌の癒しの力だと信じています。

どんな歌手を目指していますか?

 元気のない方が目の前にいらしたら、一緒に歌って差し上げたい。私の歌にじっと耳を傾けてくれるのも嬉しいけれど、私はどちらかというと皆さんに一緒に歌いたいと思っていただける──そんな歌手になりたいです。
 心を込めて歌うと、人間の持つ感覚が総動員されるんです。一緒に歌うと、さらにそれが増幅されます。相手の顔を見て、そばに寄って、相手の体温とにおいを感じ、手を繋いで触って、声を聞く──たくさんの感覚を使って、心でも歌を感じることが出来るから、一緒に歌うのが好きなんです。

ファンの方にお伝えしたいことは?

 インディーズでCDを販売していた当時、半年間レコード店でのキャンペーンをやったことがあります。その際、一番最初に買っていただいたお客様は、その後も誰もいない客席に何度も何度も足を運んでくださいました。実は、その方が今のファンクラブの会長さんなんです。これまでずっと泣いたり怒ったりしながら一緒にやってきました。ステージ衣装の着物のまま一緒にラーメンを食べに行って、会長さんを驚かせた思い出もあります(笑)。
 他にもたくさんの方に支えられて今の私があります。メジャーデビュー出来たら真っ先にファンの皆さんにお伝えするつもりでやってきました。今、喜びを分かち合えて、本当に嬉しい。もちろん、これがゴールではなくてスタートですが、支えてくださったファンの方、天国の音綾先生、作詞の円香乃先生、作曲の大谷明裕先生、編曲の竹内弘一先生、徳間ジャパンのプロデューサー、ディレクター、様々なことを教えてくださった先輩、お世話になった皆さんへの感謝を忘れず、この曲を歌い続けていきます。


『黄昏のカフェ』三ツ屋亜美
2020年7月29日発売 
作詞・円香乃
作曲・大谷明裕
編曲・竹内弘一
●収録曲 黄昏のカフェ/熱海で逢えたら
●形式 CDシングル 
●品番 TKCA-91284
●価格 ¥1,350(税込) 
●レーベル 徳間ジャパンコミュニケーション

衣装協力:フォルトゥーナ(furuni Co.,Ltd.)
撮影協力:top terrace 2031
〒150-0047東京都渋谷区神山町 16-4 ヴィラメトロポリスRF
050-5304-1350
ヘア&メイク:Haru

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