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【インタビュー】川越耳科学クリニック院長 坂田英明さん|医師になったからには多くを救える医師でありたい

坂田英明先生
インタビュー

めまいと難聴の分野では国内屈指といえる坂田英明医師。自身が院長を務める川越耳科学クリニックには、全国から難治性のめまいや耳鳴り、難聴に悩む患者の来訪が後を絶たない。耳鼻科患者の救急も受け入れる一方で、往診も行うなど、慈心済衆をモットーに、地域医療にも情熱を持って貢献している坂田医師に、医師になったきっかけとこれからの夢について伺った。

坂田英明先生

医師を目指したきっかけは?

小学校4年生の時、学校で「愛のひとしずく運動」という慈善活動に参加しました。それは現在も続いていて、鉛筆などの文具を購入することで、知的・発達障がい児を支援する取り組みです。友達が5本くらいの鉛筆を買う中、私はお小遣いを叩いて30本買いました。担任の先生から活動の趣旨を聞き、子供ながらに力になりたいと思ったからです。すると、先生は、私を身体が不自由な子供たちの施設に連れて行ってくれました。

そこには介護を受けながら生活をしている同年代の子供たちがたくさんいたんです。その姿を見て、大人になったら子供たちを助ける医師になろうと思いました。私の父が勤務医で、今の私と同じ耳鼻科医だったことも、少なからず影響しているでしょう。子供の頃、芽生えた慈心──これは今、私のクリニックでモットーになっているんですが、困っている方がいたら何とかしたいという気持ちがそうさせたんだと思います。

受験のご苦労はありましたか?

大学は普通に入れたのですが、肝心の国家試験に一度落ちたんです。苦労っていうほどではありませんが、その時は必死に、人生で一番といっていいほど勉強しましたね。国家試験に落ちたことが恥ずかしいから外に出られない(笑)。朝起きてごみを出した後はずっと勉強。週に一度だけ私と同じく国家試験に落ちた連中と集まって勉強会をしました。それ以外はひとりで部屋にこもって、誰とも会わず、1日16時間くらい勉強していました。

耳鼻科を選択した理由は?

私はスポーツ、特にバレーボールが大好きで、中学、高校、そして医大の6年間、ずっとバレーボールに打ち込んでいました。最初は脳外科を希望していたんですが、幸いバレーボール部の先輩方に脳外科の方が大勢いて、詳しく話を聞くことが出来ました。先輩方がいうには、「50歳を過ぎたら、脳外科の手術は難しい。最初に目が衰え、長時間の手術に耐えられるだけの体力も徐々に衰えていく」とのこと。

では、耳鼻科はどうだろうかと思いました。耳鼻科は赤ちゃんから高齢者まで診察します。内科的な診断もするし、手術もする、リハビリも。一貫して全部やるのが耳鼻科だということに気が付き、やり甲斐を感じたんです。私が子供時分に抱いた、困っている子供たちを助けたいという思いも貫けます。

国を挙げての大きなプロジェクトを実現されましたね。

1990年代までは赤ちゃんの難聴をなかなか発見出来なかったんです。「うちの子は言葉が遅いな」と思って、3歳ごろになって調べてみて、初めて難聴が発覚するような感じ。言語の習得には臨界期があって、その時期を逸すると、言語の習得が困難になってしまいます。だから、遅くても1歳くらいまでに難聴を発見しないといけません。

「アヴェロンの野生児」をご存じでしょうか。オオカミに育てられた人間の子供に教育を施しましたが、ナイフやフォークを使って食事が出来るようにはなりましたが、最後まで喋ることは出来ませんでした。

早期発見さえ出来れば難聴があっても口話の習得も可能になり、手話とのバイリンガルも実現出来ます。子供に対してコミュニケーションの選択肢を狭めないためには、早期発見がどうしても必要なのです。しかし、発見が難しい。

そこで、米国のベンチャー企業が新生児の難聴の検査の技術を持っていることを知り、当時の上司に背中を押してもらって、米国で調査し、国内の検査で応用してみたんです。これが現在、国内全ての新生児に行われている「新生児聴覚スクリーニング検査」です。

1997年当時、年間約100万人の新生児がいました。その全員に検査をしようという国を挙げてのプロジェクトに関わり、ろう学校や難聴児童の親の会など様々な方が協力してくれた結果、何とか実現しました。新生児聴覚スクリーニング検査を日本中に広げることに、心血を注いでやり遂げ、20年が経った今、日本の殆どの赤ちゃんが検査を受けられるようになったのが、本当に嬉しい。この検査は、約3分の短い時間ですみます。音を赤ちゃんに聞かせ、脳からの電気的反応や内耳からの反射音を調べるのですが、安静時に行う必要があるため、生後2日目くらいに産院で行われます。

これからの目標や夢は?

普通の医者は病を治し、よい医者は人を治し、優れた医者は国を治す━━古代中国の医学書にある言葉です。医師になったからには多くを救える医師でありたい。これからは医師、耳鼻科医という職業の枠を超えて、年間4万人に上る孤独死する高齢者を少しでも減らせるような制度を、国に働きかけて作っていきたいと思っています。孤独死は、交通事故死より毎年多いんです。生まれたての赤ちゃんに検査を行って、全ての子供が救われる仕組みを作り上げたように、今度は人生の最期に救いがある仕組みを作りたい。それが私の新たな使命です。

ご協力いただいた専門家

美整堂佐々木彦也
埼玉医科大学耳鼻咽喉科客員教授
坂田英明先生
川越耳科学クリニック
川越耳科学クリニックFacebook

TVホスピタル2021年10月号掲載

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