ラジャダムナン・スタジアムはタイの国技であるムエタイの世界において最高の権威を持つ競技場。

その王座奪取という快挙を成し遂げた日本人は数える程(2020年8月21日現在で9人)しかいない。

そのひとりがキックボクサーの梅野源治選手である。その選手生活は怪我の連続であり、夢を諦めかけた時さえあったという。

挑戦しないまま諦めるのは、自分の夢も
支えてくれる方の思いも裏切ることになるのかな

ムエタイの王者になった後、大きな怪我に苦しまれたとか……。

格闘技を始めた時、初めて明確にイメージした夢は、キックボクシングの世界で一番強くなることでした。

その夢を追い続け、2016年10月23日、ラジャナムダン・スタジアムで王者になって、夢を現実にしました。

ムエタイはタイの国技であり、キックボクシングから見ても別格の存在。

その頂点に立てたわけです。その7箇月後には防衛戦が予定されていたんですが、1箇月前の試合でタイの強豪選手と戦い、上腕二頭筋を断裂。

さらに、眼窩底骨折で視界が歪むような状態。

とはいえ、防衛戦をキャンセルするとなると、自動的に王座は返上です。延期することは出来ませんでした。

大怪我をした状態でも防衛戦に臨まれた理由は?

ジムの誰もが猛反対。

でも、僕としては戦わずしてベルトを失うということが出来なかったんです。

僕ひとりで手にしたベルトじゃなくて、ジムの皆で力を合わせて勝ち取った結果でしたから。

何とか頼み込んで臨んだ防衛戦でしたが……負けました。

胸骨と鼻骨を折った上に、頬骨にひびが入り、眼窩底骨折で見えにくかった目の状態が、さらに悪化。

ロープを飛んでいても、斜めによろけてしまうくらい、平衡感覚がおかしくなってしまいました。

心にもダメージが残ったのでは?

僕がキックボクシングをやる理由は、金でも名声でもありません。

世界で一番強くなりたい ―― それだけです。

注目度やギャラだけを考えたら、国内の大きな興行に出るという選択肢だってありましたが、それを断ってまで、ムエタイのベルトを手にしたかったんです。

それが格闘技を続けていけるかどうか、危ぶまれるような状態になったわけです。

脳裏には限界、そして引退の文字が浮かび、本当に悩みました。

それでも挑戦を止めませんでした。

休んだり、練習に来たりを繰り返しているうちに、怪我が回復して、自然と動きがよくなっていきました。

そして、回復しきったかどうかの微妙なタイミングで次の試合の話が来ました。

主催者はオファーしてくれて、ジムの皆も支えてくれて……自分が必要とされているなら、もう一回頑張ってみようと思えたんです。

相手は、勝てるかどうかわからない強豪。

負けたら引退かなと腹を括って臨んだ試合でしたがKO勝利。

この勝利でラジャダムナンと並んで権威のあるルンピニーのランキングに入って、王座に挑戦する道まで開けたんです。

あれこれダメージは残っている状態でしたが、お客さんはお金と時間を使って応援に来てくれます。

そして、僕が勝てば、一緒に喜んでくれるんです。

こんなに支えてくれる方がいるのに、自分から可能性を見限って、挑戦しないまま諦めるのは、自分の夢も支えてくれる方の思いも裏切ることになるのかなって。

だから、また現役を続けていこうと思いました。

読者の皆さんにメッセージを。

ベストの時を100とすると、今の僕は怪我の後遺症や年齢を差し引いても、100プラスα。

試合と練習から得た技術がありますから。

怪我を乗り越えた経験もあります。マイナスがあってもそれを上回るプラスαがあればいい。

入院されている方も怪我や病気をする前より強く優しくなってやるという気持ちになっていただけたら嬉しいです。

梅野 源治(うめの げんじ)

東京都出身。PHOENIX所属。

https://phoenix-kick.com/

元ラジャダムナン・スタジアム認定ライト級王者。

元WBCムエタイ世界スーパーフェザー級王者。

元WPMF世界スーパーフェザー級王者。

元M-1フェザー級王者。元WBCムエタイ日本スーパーバンタム級王者。

元WPMF日本スーパーバンタム級王者。

元WBCムエタイ・インターナショナル・スーパーフェザー級王者。

2020年9月10日(木)東京・後楽園ホール『スック ワンキントーン go for the top』 にメインイベントとして出場予定。 

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